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米国における住宅様式(1) 【東京の注文住宅コラム】 江戸川区の工務店

掲載日2009 年 5 月 11 日

【 アーリー・コロニアル様式 1600年~1715年 】

 

【 概要 】

アメリカにおける住宅様式を考える時、入植者達の自国の時代背景や建築様式がベースとなり、確立されて行きました。その中でも特に、英国の影響を多大にうけています。それは1657年の入植者人口(初期アメレカ人口)の90%が、英国からの移住者であったことから容易に理解することができます。英国の他、オランダからの入植者が6%で、残りが他の国からの入植者で占められていました。最初の英国入植地は清教徒がメインフラワー号でやって来た1607年のバージニア州ジェイムズタウンと、1620年のマサチューセッツ州プリマスに設置されており、英国の市民革命とその後のオリバー・クロムウェルの共和制が崩壊し、チャールズ2世が王位を奪還した1660年の騒乱時代が終わるまでの間に、数千人の入植者達が新天地を求めて英国から旅立ちました。その入植者達の目的は、信仰の自由を求めてのものであったり、経済的利益を求めてのものであったりと・・・・また一部の者は拘束された奴隷として、やって来たりとざまざまですが、このうち北部地方(プリマス)には英国のイースト・アングリアから信仰の自由を求めた人々が、南部地方には経済利益を求めた英国の南部及び西部の人々が移住しています。このアメリカ初期の時代背景から、初期北部様式と初期南部様式に分かれた住宅様式が発展して行くこととなります。

 

 

【 17世紀英国建築の影響 】

17世紀に米国の北部、南部の英国領アメリカに建設された住宅様式は、後期チューダー様式とジャコビアン様式、つまり非対称形、急勾配の屋根と切妻を崩した様式のものであった。ビルダー達(住宅建築業者)は彼らが母国に残したきた農場や美しい農家に用いられていた建築技術とデザインを活用しました。

17世紀の英国は1620年、イニゴー・ジョーンズ(1573年~1652年)の建築による、イギリス・ルネッサンスによって始まった。中でも英国王室がオランダに避難していた時の、オリバー・クロムウェルによる共和制を得て、スチュアート後期までの1649年から1660年は、才能に満ち溢れた豊かな作品を後世に残した、クリストファー・レン卿(当時の英国建築家、1632年~1723年)に因んで、レンネサンス(Wrenaissance)と呼ばれる程繁栄しています。

清教徒入植者たちがプリマスに上陸した1620年には、イニゴー・ジョーンズによってホワイトホール宮殿のバンケッティングハウスや、女王のために設計されたグリニッジにあるクイーンズ・ハウスの様な建築物は、イングランドにおける最初のルネッサンス様式の建物は完成していたが、アメリカの初期コロニアル様式(植民地住宅様式)には、それほど大きな影響を与えることは出来ませんでした。

 

 

【 アーリー・コロニアル様式の構築要素 】

英国ではヘンリー8世が1542年にローマ法王庁と断絶し、修道院を解体したため修道院の保有していた膨大な土地財産は、資産家の土地へ分割された。これによってマナーハウス(荘園領主の館)や小農場が建築ブームとなり、大規模な木造住宅はワーウイックシャ、ランカシャの森林地方で建設されたが、それ以外の地方では煉瓦が最も多く使われました。又オランダから輸入された煉瓦が、最初に使われたのはイースト・アングリアでした。16世紀に入ってオランダから煉瓦の製造技術を紹介され、ロンドン近郊のハンプトンコートや、ワーウィックシャのコンプトン・ワイニャテスは、煉瓦で建築された巨大なチューダー様式の邸宅を造りました。しかし初期アメリカへの入植者達は、豊富な森林から得られる木材を加工し外壁の板材に変え、煉瓦の変わりに使用しています。

アーリー・コロニアル様式の特徴要素として、煙突囲いが上げられますが、石炭がチューダー王朝に入って熱源として、広く使われるようになり煙突囲いと暖炉が、より油性の高い煙を排出するため開発されました。このため煙突囲いがデザインの一部として定着しました。

暖炉は今で言うエアコンです。現代ではエアコンはどこの家庭でもある贅沢品ではなくなりましたが、当時、暖炉はかなりの贅沢品で一家に一つが当たり前でしたが、経済力のある者達は全室に暖炉を設けました。よって煙突囲いも増えます。この事から煙突の数が多い程、裕福であったと言えます。

窓の特徴としては、木製の枠にケースメント・ウインドウの場合、木製の板を蝶番で支持されてるもので、ガラスは英国から持ち込まなければならす高価であったため今日、教会の窓で見られる様なダイヤモンド型の鉛の枠でつながれた物(ガラス)を、板の中に一部組み込み、外側のごくわずかな部分にのみ使用されていました。

18世紀に入って修復する場合を除いて、これらの窓はやがて木製の上げ下げ窓に置き換えられました。外部のルーバーの入ったブラインド(鎧戸)は,今日ではシャッター(雨戸)と不正確に呼ばれていますが、イングランドでは使われていませんでした。初期の米国におけるコロニアル様式でも使われていません。後に無垢の板やパネルで防犯目的にシャッター(雨戸)をつける様になりますが、けして装飾目的や気候(風雪よけ)のために取り付けられえたものではありませんでした。

 

 

【 2つのアーリー・コロニアル様式 】

このアーリー・コロニアル様式は、北部のニューイングランド地方に建設されたアーリー・ニューイングランド・コロニアル様式とバージニア州やメリーランド州に建設されたアーリー・サザン・コロニアル様式(初期南部スタイル)に分類されまています。

ほとんどのアーリー・コロニアル様式の建築物で、現存するものは修復され、その一部は一般公開されているます。

南部の初期時代の住宅は極めてわずか散在しており、中でもバージニア州ノーフォーク近くにあるサログッドハウスやバージニア州サリーカウンティにあるベイコンズ・キャッスルは卓越した事例です。

 

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