【中部大西洋岸地域 スタイル (1715-1780)】
1666年ロンドン大火災後、それまでロンドンの市街地の大多数を占めていた木造建築は禁止されました。市街地火災の原因は、市街地にある木造建築が原因でした。1076年ノルマンディ公ウィリアムがアングロサクソンを征服してブリティン島の支配権を握った時、ウィリアムはアングロサクソンの伝統文化である木構造(ハーフティンバー)の建築をそのまま放置していました。ロンドン塔のような官庁やローマカトリックに関連する修道院などは、石造又はレンガ造で建築しました。ロンドン大火災後は、ロンドン市内の木造を放遂する大事業として、ロンドン復興が取り組まれました。現在シティにある高さ60mのモニュメントは、ロンドン大火の記念碑であり、木造建築放遂の記念碑でもあります。ロンドンの復興が終わる、多くの石工や建設業者は仕事を失うことになっりました。こ状況を見て、17C末フィラデルフィアの建設に熱意を燃やしていたウィリアム・ペンは、「新大陸に大きな仕事がある」と言って、ロンドンの大多数の石工や建設業者を米国に連れて行き、そこで町づくりにあたらせました。
そのためフィラデルフィアはロンドンの設計図書から見積り資料「アーティクルアンドルールズ」に至るまで全部を、そのまま使うことができ、「建築家がいなくても出来た町」とまでも言われました。フィラデルフィアに建設された現存する建設業者組合本部(カーペンターホール)は、今でも使われたている程の立派な建築です。この石工の技術が、中部大西洋地域のジョージアン様式を支えました。組石造の場合、外壁は垂直につくる総2階建とすることが一番合理的でありますが、1階部分に差し掛け小屋(ペント)が設けられることも多く見受けられます。
現代はルーフスカート(腰屋根、小庇)とも呼ばれています。
アメリカの住宅様式7【ニューイングランドスタイル】はこちらです
